― 安心が“条件付き”だった過去の影響 ―
人と一緒にいるとき、
なぜかずっと力が抜けない。
相手は普通に話しているし、
嫌なことを言われたわけでもない。
それなのに、
どこかで気を張っている自分がいる。
「変なこと言ってないかな」
「今の言い方、大丈夫だったかな」
そんな確認が、
無意識のうちに頭の中を行き来している。
その背景にあるのが、
「嫌われたら終わり」という感覚です。
誰かに嫌われた瞬間、
関係が壊れてしまうような気がする。
距離を置かれたら、
もう戻れない気がする。
だから、
嫌われないように。
空気を乱さないように。
相手の期待から外れないように。
そうやって、
常に少し緊張した状態で人と関わることになる。
頭では、こう思っています。
「そんなことで関係は終わらない」
「多少嫌われても大丈夫」
「全員に好かれる必要はない」
理屈は、ちゃんとわかっている。
それでも、
心や体は、別の反応をしてしまう。
感情としては、
強い恐怖というよりも、
落ち着かない感じに近いかもしれません。
安心できない。
完全には気を許せない。
どこかで“見張っている”感覚。
それは、
性格の問題というより、
安心の感じ方を学んだ環境と
深く関係していることがあります。
過去に、
安心が“条件付き”だった時間が長いと、
- いい子でいると大丈夫
- 空気を読むと受け入れられる
- 期待に応えると居場所がある
そんな経験を重ねていくことがあります。
その中で、
「嫌われないこと=安全」
という感覚が、
自然と体に染み込んでいく。
だから大人になっても、
人と関わるたびに、
体が先に反応する。
「ここは安全かな」
「私は受け入れられているかな」
その確認が終わるまで、
心が休まらない。
それは、
今の相手を疑っているわけではなく、
昔のやり方が、まだ残っているだけ
なのかもしれません。
もし、
人といるときに緊張が抜けない自分に気づいたら、
「またダメだ」と責めるより、
「私は、安心を確認しているんだな」
と、そっと眺めてみる。
それだけで、
体の中の張りつめた感じが、
少しやわらぐことがあります。
嫌われたら終わり、
という感覚がある人は、
それだけ人とのつながりを
大切にしてきた人でもあります。
ただ、
その守り方が、
今の自分に合っているかどうかは、
ゆっくり確かめていってもいい。
あなたは、人と一緒にいるとき、
どんな瞬間に一番、緊張が強くなりますか。
それは、
今の出来事でしょうか。
それとも、
もっと前から続いている感覚でしょうか。あなたなら、
どう感じますか?
