はじめまして、アダルトチルドレン専門感情解放・心の矯正カウンセラー響和奏(ひびき わかな)です^^
心とカラダのカイロプラクティック歴11年、8000人以上の方の悩みを解決してきました。
幼少期 父母が離婚 「何があっても小さな私を離さない」
母(18) 、父(19)の時に私は札幌にて産まれました。
私は好奇心旺盛・活発に加えて人懐っこい性格
自己表現もバンバンする子だったそうで、外食に行くとすぐその場からいなくなり、隣の知らない人達の席へ笑顔で乱入しているのが毎回の恒例行動だったそうです。
当時、パパとお母さんとの最後の記憶は
深夜に母がパパに叩かれ、私の上に覆いかぶさるように倒れてきた記憶です
「何があっても小さな私を離さない」
お母さんの泣き声に、そんな母の感情を感じたことを覚えています。
私が3歳の時に父母が離婚
母は昼夜バイトへ、私と母は祖母宅にて3人暮らし
信仰深い祖母は、小児麻痺を患ってましたが、そのかたわらで精神性や心の在り方について全国を講演して歩いており、現代でいえば現在の私がしている心理カウンセラーの仕事の講師のあたる、それも有名な人でした。
私は母と祖母に見守られ、平穏で暖かな信仰の深い環境にて育ちました
母はシングルマザー、女手一つで朝から晩まで仕事へ行き目まぐるしく忙しい日々でした
そんな中でも、仕事後ボロボロになって帰宅してるのに、私に満面の笑みで愛を示して育くれました。
離婚後、若くして私を産んだ母の 父親役としとての厳しい教育 「自分のことは自分でやりなさい!」
若い母が、仕事と育児の両立をするためには
「自分のことは自分でやりなさい!」
と、愛深いゆえの父親役も演じ、厳しい教育でした
その厳しさの中にある愛や感謝を感じた私は
「私が母や祖母を助ける!」「守りたい!」「私が頑張らなくちゃ!」
と思うようになり
「子供ではだめ!早く大人になりたい…大人にさえなれば…」
と毎日考えていた事を覚えています
母は父親役を両立! 私は冷静さを磨いて助け合いながら成長
私と母は姉妹のように、二人三脚で共に成長していきました
成長するにつれて子供らしい自分を表現するのも、なんだか恥ずかしく
嫌われたくない私は
「疲れてるのにこれ以上迷惑をかけたくない…」
子供ながらに大人になるためには何が必要なのか考え…
「冷静さが必要!」と
表では大人っぽくカッコ良く、活発で、人懐っこく、いつも冷静で明るい頑張り屋さんを演じ続けました
しかし、私が大きくなるにつれて 私は母が疲れて帰ってくる姿を見ては甘えたい気持ちや、寂しい気持ちを表に出さないようになっていき、帰ってきてくれて嬉しい気持ちさえ冷静に押さえ込んでいったのです
母の育った環境 信仰深く、由緒ある家柄で育ち 人様に恥ずかしい姿は見せられない 女系家族
母もまた3歳の頃、父が他界し男手がない環境で育ちました。
祖母宅には毎日のように祖母の話を聞こうと、生徒が数十人来る家の中、先生と呼ばれ、公には言えない由緒ある家柄も重なり、人目が多く、常に色んな角度から期待された環境で姉と3人女系家族の中で成長していきました
男性がいない家庭では、女が父性を補います
母もまた、人に恥じない、男性に頼らない、甘えないしっかりものを演じて育ったのでした
それらも相まって、私への甘えさせない、自立をうながす、愛で包みながらも厳しい教育が始まり
私の未来を想定した母の厳しいさの裏側にある愛に気づいていた私…そんな母の事を尊敬し、大好きでした
小学生時代…女系生活から、初めての異性と共存 「喜ばなければいけない、悲しんではいけない…」
小学校高学年になり、新しい義父ができ…さらに弟ができました
「和奏良かったねぇ!弟ができるんだよ!」
「…ワーイ………ウレシィ………」
母からの愛を独り占めできた期間が終わりを告げ…私の人生に異性が二人も増えたのです
私は思春期に入り、義父が…気持ち悪くて…弟も汚く感じて…義父の視線も気になり、一緒に食事するのが苦痛で仕方なかった事を覚えています
「私を見ないで!」「気持ち悪い!」「汚い!」
本人達を傷つけたくないので心の中で叫び、二人の異性が触れた物を必ず拭きました
弟が私の部屋に入ってくると、この侵入を許すと何かを取られそうな…何かを奪われそうな感覚になり、リラックスできない日々が続きました
何かを取られそうな…何かを奪われそうな感覚の正体…
女手一つ、若い母と二人三脚でここまで生き抜いてきました
女性同士でしかわからない絆をコツコツと重ねてきました
そこに突然大人の男性が「お父さんだよ」と現れ
母から「和奏にお父さんと弟ができたのよ!嬉しいね!」
一人占めできていた母の愛を受ける権利を一瞬で奪われた…そんな落胆…怒り…不安…悲しさ
弟が私の部屋に入ることを許す事は、母親からの愛を譲るのに等しい感覚でした。
笑い方が分からない 「笑うってどうやるんだっけ」
そんな頃笑い方が分からなくなったんです
同級生達とバトミントンをして負けてしまい、負けたのが悔しくて悔しくて…なのに、悔しい表情を出せず作り笑い、その後笑い方がわからなくなりました
「どれが笑う事?」「どれが笑わない事?」表情や感情を押さえ込まれすぎて、思春期や、女系家族環境から突然異性の侵略も重なり、自分の感情表現方法さえ分からなくなってしまいました
集団の輪に入れない中学・高校時代
群れて行動するのは何か怖く…嫌われたくないので自分を偽って、かっこよく見せて面白いことばかりして仲良くなれるのですが、それを1年も続けると何故か友達がいなくなりました…
それは、小学生の頃から中高生でも続き…それが自分の中の謎なトラウマとなり集団のに入っていくことが怖くなっていったのです
ご飯を食べる時も、「一人ぼっちでご飯を食べることになったらどうしよう」とか「私と仲良くご飯を食べてくれる人なんているかなぁ」とか、「私より他の人との方がどうせいいよね」とか「私と一緒に食べたくないよね」そんなことばかり考えて給食の時間が怖かったです。
本人は、なんでこんなに冷静で大人なはずなのに輪に入れないのか心の核となる原因がわからないので、とにかく学校が嫌いでやり過ごす事しか考えてませんでした、とにかく最小限に自分の傷を留めるためにどう行動するを考え、毎日「早く時間が過ぎて!」と考えていました…
謎なトラウマの正体…今でならわかります
幼い頃から感情を押さえ込み、本心を隠し、本音もわからなくなっていたので冷静な自分を演じ続け過ぎて、掴みどころのない、無表情、クール、近づきずらい雰囲気になっていたんです
ブラック企業にて17時間労働の末、心の崩壊苦しい学校生活を逃げ切った!解放的な社会人生活になるはずだった…
早く社会人になりたい!この苦しい学生生活から解放されたい!と、高卒後は活発に働けるガソリンスタンドに就職!
やっと苦しい集団生活から逃れられた…はずでした
入社したての頃は毎日新しい発見、出会い、知恵・技術向上があり、ひたすら朝から深夜まで没頭して働き自身の成長を感じられる刺激的な日々
順調に成績を上げ、3年経った頃には全国1位の成績もとりました!やっと楽しい生活の始まりだ!と思いました…しかし…またしても、最悪な結末への出来事が起こります
朝8時~夜中2時まで働き、仕事が終われば若い私はデートへ行き、
朝6時に寝てまた朝8時から仕事へ…こんなハードな生活が続き
一度無理してでも作り上げた行動や、ステータス、人物像は簡単に崩せず
楽しかった新人の頃の勢いそのままで、クタクタなのにいつも余裕ぶって、クタクタなのに更に販売成績を求められ…自分の身体にも心へも無視をし続け、ついに心も崩壊してしまいました
ハードな17時間労働の中でそんな生活を2年も続けると、睡眠不足や過労で自律神経がやられ、常にビクビク周りの目が気になり常に「仕事しないと!」「サボってると思われないようにしなきゃ!」「上司に販売頑張ってる姿見せなきゃ!」「笑顔にならなきゃ!」と負のスパイラルにハマっていき
人に見られていると手が震え、顔が強張り、笑顔の作り方わからなくなり、笑顔になった後素顔に戻せなくなり…仕事ができなくなりました
そこでやっと、当時の恋人が母に「辛そう」と伝えてくれた事がきっかけで、母から
「もう辞めてもいんじゃない?」…凄くほっとして…なんだかやっと認められたような気がして…辞める決心がつきました。
私に告げられた病名…対人恐怖症・視線恐怖症・会食恐怖症・社会不安・自律神経失調症、不眠症
仕事を辞めたものの、親に負担をかけるわけにはいかない
でも、こんなに人目が気になって、酒でも入ってないと目も合わせられない状態で次の仕事ができない…
そこで、恋人の勧めもあり精神科を受診しました。
最初の精神科では統合失調症と誤診され、その後病院を転々とする日々の中で沢山の症状を診断されました。
対人恐怖症…社会不安症ともいわれる、視線恐怖症や、会食恐怖症などを合併してそれらの総称。
人に会うのが怖く、家族でさえ会えない生活に支障をきたすレベルの症状
視線恐怖症…とにかく人目が怖い
車の運転中は信号待ちで対向車の目線が怖く、身体は緊張しカチコチに固まる。
スーパーも人目が怖くて入れず、レジで人と向き合うだけでも緊張で手は震える。
バスで隣の人が少しこちらに顔を傾けただけで「見られる!」と過度に緊張し、顔がこわばり、脈が高まる。
会議など複数人から見られる状況では、喋れば見られてしまうので話しもできない
会食恐怖…視線恐怖症・対人恐怖症・社会不安症と合併し、友人とご飯を食べるのも向かい合ってると目線のやり場もわからず緊張で箸で物をつかめず食べれない
社会不安症…特定の社会的状況・環境において発症、対人恐怖症を含む総省して言われる事もある。
自律神経失調症…極度の睡眠不足、極度の過労、ストレスなどで発症する、ネガティブ思考・考え事が永遠と頭から離れない、原因不明な不調
不眠症…夜は目がらんらんとし、朝方眠気がくる昼夜逆転生活で、眠り方がわからなくなり仕事中は目の前の仕事に追われ、眠いのか疲れてるのかすらわからない状況でした
繰り返す学生時代同様の逃避…お酒が唯一のリラックス法
薬を10年服用するも、変化なく安定剤とお酒で過敏な感覚をマヒさせて私生活をやりすごし、ごまかし、逃げ続けました。
そう…集団行動を逃げ続けた学生時代と同じ、再び負のループです。
どこの精神科へ行っても「この薬増やしておきますね」とか、「ストレスかからないようにしましょう」とか、「ゆっくり休みましょう」とか、うわべだけの回答で薬が増えるばかり…実際の心の核となる部分へのアプローチがありません…更には、「この検査しないと薬が出せないんです」と薄暗い部屋でベットに寝かせられ、何やら体育座りの形をとり、コロコロ転がされ…『私、ここにいたらもっとおかしくなる』と寒気がした事を覚えています。
このままじゃダメだ!自分が生きて行きやすい環境を作るしかない そのためには…
大人数の視線がなく、上司の目がある会社勤めではなく、1人でできる仕事はなんだろう。
誰にも邪魔されず、1人でマイペースに集中して仕事がしたい。
経験値を積んで、いずれ独立できる仕事が良い…。
「手に職をつけよう…そのためには…?」
「学校へ通おう…そのためには…?」
この症状をさっさと改善しよう!もうこの症状にいつまでもかまってられない!と気づきました。
病院ではない保険のきかない本当の意味で治せる所を探しました。
わらをもすがる思いで見つけた 心の核を癒す心理カウンセリングの文字
精神病院と何が違うんだろうと、いくつものサイトを調べました
心理カウンセリングは精神科よりも高額で、情報は調べつくしたものの、なんだか怖く、不安もありましたがとにかくこのままじゃ仕事ができないので、意を決して行ってみることにしました
薬に頼らない心の核を癒すカウンセリング
すると、精神病院とはまるで内容が異なり、しっかり私の話をメモ取りつつ、その後様々な私に合う療法案を提示してくださりました
対人療法、認知行動療法、暴露療法、催眠心理療法、リラクゼーションなどをゆっくりほどこし
無理やり強行することもなく私の心のペースに合わせて進行してくれました
光がさしたようでした
自分らしくありのままでゆったり過ごせる唯一の時間
自分で自分を見つめる手助けをしてくださり、お陰で、回数を重ねる度に視界が明るくなりカチカチの身体も顔も力が抜け、呼吸も楽になってきて、考え事ばかりだった思考もスッキリなくなってきました
少しづつ目線が気にならなくなり、少しづつ人と会話ができるようになってきて、心の矯正を経て、「自己表現ってとても大切だったんだなぁ」と身に染みる思いでした
ゆっくり回復してくる自分を実感
26歳 自分を大切にする時間をつくる
この頃から、ハードに自分を痛めつけるような仕事や、生活を辞めゆったりとした新聞配達のほのぼのアルバイトに就き、自分をみつめ、今後どのような自分になりたいか、たっぷり考える時間をもうけました
少しずつ変わる自分
今までの経験を生かして人を癒す仕事に就きたいと思い
カイロプラクティック整体の専門学校へ2年通い、学校直営のカイロプラクティックへ就職
ここでも自分専属で心理カウンセリングを受けながら、自分と向き合い、自分も癒しながら、6年間で8000人以上の施術経験を経ました
その後、沢山の方々の応援があり、あれよあれよと言う間に開業させてもらいお陰様で、順調に3年が経ちました
身体を癒すためには心の矯正も必要だと気づきました
身体の不調を矯正していく中で、身体だけを矯正するだけでは限界があることに気づき
自身の経験からも、心を自然と矯正することで身体も癒されることを学びました
私の心の核を癒す、心の矯正…心理カウンセラーになりたい
私の今までの経験で
苦しい人や、頑張ってるのに空回りしてしまう人、人目が気になって仕事がしづらい人、様々な心の悩みを癒すサポートがしたいと思い、カウンセラーになる事を決めました
辛い経験を経ての学び
小さい頃から屈強を乗り越えようと色々学んできました、信仰心、量子力学、引き寄せの技、感情の整理整頓方法や、セゾナメゾット、インナーチャイルド癒し、その他書ききれないほどです
病気とは、自分の心のケガ
人は、自分らしさを誤魔化し、自分を無視し続けて感情を抑え込み続けると、自分自身を傷つけているので病気になっていきます
私に、心の矯正をサポートさせてください^^
長文のプロフィールになりましたが、読んでいただき、私を知っていただき、ありがとうございます^^